2016年12月10日(土)
名古屋・東別院イーブルなごやにて、あいち文学フォーラム主催のイベント
詩人・谷川俊太郎氏と、文芸評論家・詩人の北川透氏との対話「〈ミライノコドモ〉へ詩の元気を!」を開催しました。
ゆったりと椅子に座って、それぞれの詩人としての生涯、在り方を問います。
地方各地の文学館についての話・・・静岡県・三島にある大岡信(まこと)ことば館や、山口県湯田温泉の中原中也記念館、愛知県に文学館に存在しないことなどの、
文学館を維持し続けることの難しさ。
戦前のラジオを収集しておられ、180ものコレクションを有し、フォルクスワーゲンのシンプルなデザインに魅かれた話。
大岡信との交流関係について、幼少より秀才で知られた大岡氏に、兄貴分として教えてもらった話。
谷川氏がいつまでも元気で詩を書き続けていることの元気の秘密について。
数年で膨大な詩集を出し続けること、話していることがそのまま詩になっていて、それでいて非常に深い現代詩となっていること。
「詩に就いて」<私、谷川>の朗読
「十代の私は何も考えずに書いていた
雲が好きだったから雲が好きだと書いた
音楽に心を動かされたらそれを言葉に翻訳した
詩であるかどうかは気にしなかった
ある言葉のつながりが詩であるのかないのか
そんなことは人が勝手に決めればいい
六十年余り詩を書き続けてきて今の私はそう思う」(一部抜粋)
ポエム(詩作品)とポエジー(詩情)との違いの話。
<その男>の朗読
「これは俺が書いた言葉じゃない
誰かが書いた言葉でもない
人間が書いたんじゃない
これは「詩」が書いた言葉だ>
内心彼はそう思っている
謙遜と傲慢の区別もつかずに」(一部抜粋)
「私」とは何か?という問題について。自分の書いた詩が金になった話。
心と魂という言葉のちがい、心とは個人に属している、魂は個人を超えた生き物全体、存在全体に関わっていくもの。
二人の世界が繰り広げられ、対話は深まっていきます。
二人の対話が深まるにつれ、対話に耳を傾ける聴衆の熱心さが伝わってきます。
「トロムソコラージュ」<臨死船>の朗読
「知らぬ間にあの世行きの連絡船に乗っていた
けっこう混みあっている
年寄りが多いが若い者もいる
驚いたことにちらほら赤ん坊もいる
連れがいなくてひとりの者がほとんどだが
中にはおびえたように身を寄せ合った男女もいる」(一部抜粋)
<臨死船>と宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」について。
<ミライノコドモ>の朗読
「キョウハキノウノミライダヨ
アシタハキョウミルユメナンダ
ダレカガアオゾラヤクソクシテル
ミドリノノハラモヤクソクシテル
コレカラウマレルウタニアワセテ」(一部抜粋)
詩の朗読を谷川氏みずからが語る場面は、会場が熱気の渦のような雰囲気で、いまここでしか為し得ない、まさにライブそのものでした。
二人とも語っているのが楽しくてしょうがない。そんな対話を間近で聴けた嬉しさでいっぱいのイベントでした。
対話を聴いて、とても勉強になり、一期一会のまたとない、貴重な体験をさせて頂きました。
0 件のコメント:
コメントを投稿