2024年3月17日(日)
名古屋市・ルブラ王山にて、あいち文学フォーラム主催イベント
奥山景布子 文学講演会・作者が語る『フェミニスト紫式部の生活と意見 ~現代用語で読み解く「源氏物語」~』を行いました。
2023年に刊行された『フェミニスト紫式部の生活と意見』(集英社)をテーマに講演をされました。
〇千年の時を超えて届く女たちへの「連帯」のメッセージ。平安文学研究者出身の作家・奥山景布子が「フェミニズム」「ジェンダー」「ホモソーシャル」「おひとりさま」「ルッキズム」など、現代を象徴するキーワードを切り口に「源氏物語」を読み解く。そこに浮かび上がってきたのは、作者・紫式部の女性たちへの連帯のまなざしだった。時空を超えて現代の読者に届くメッセージ──希望ある未来へとバトンを繋げる新解釈。
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以下、要約と抜粋
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〇『フェミニスト紫式部~』は、「源氏物語」を、今の私たちの感覚でわかりやすく読むには、こういう所に注目するべきではないのか、ここを見過ごしてはいけないのではないのか、という内容の本である。
〇紫式部の視点「サブカル」からのまなざし・・・日本語は、元々文字のない言語だった。昔の日本語はそれを書くための文字を持っていなかった。どうして書けるようになったのかというと、中国から漢字が輸入されてきたから。漢字によって、日本語を表記することが発明された。
万葉集、日本書紀、古事記などは、日本語をどうやって文字に書き写すことができるか、読み書きができるようになるかの「実験場」のような側面があった。
〇漢文を真名(まな)という表現をしていた。仮名(かな)の反対が真名で、漢字は輸入された新しい文化で、漢字に馴染むことができる人は、特定の階層(お坊さんや官僚、政治家など)に限られていた。女性には漢字は馴染めない状況があった。
和文(仮名)が発明されて、仮名の文化は女性に浸透し、漢字は男のもの、という文化が成立した。漢字を「男手(おとこで)」と呼ぶようになり、仮名を「女手(おんなで)」と呼ぶことになった。
文字と文体に「ジェンダー」(社会的・文化的な役割としての「性」)が生まれた。
〇漢籍(歴史書、思想書、漢詩文集)は価値でいうと上、和文で書かれた作り話は価値の低いものとされていた。
現在でいうと少し前までは文学が上、アニメやコミックが下といった、ハイカルチャーに対するサブカルチャーがあり、平安時代においては漢籍が上で、和文の作り話は下、と見なされていた。
現在では源氏物語は古典だが、当時はサブカルであった。
〇源氏物語の特異性・・・同時代の作品(竹取物語、伊勢物語など)は、作者が誰かわからない。どのような事情で成立したのかもわからない。なぜかというと、作者であることが名誉ではないから。
源氏物語の特別なところは、作者名がわかっていて、成立事情もわかっていること。「男性」や「権威」が認め、賞賛することで、サブカルだった源氏物語の地位が向上していった。他の物語にはない現象。
詳しくは『ワケあり式部とおつかれ道長』奥山景布子著(中央公論新社)を参照。
〇「古典」としての歴史・・・源氏物語の注釈書は、歌人による研究が最初で、その後は本居宣長に代表される国学が江戸時代に発展して注釈書が作られた。その後、東京帝国大学に国文学科が登場した。が、全て男性中心で注釈、研究、評価が行われていた。
どの注釈書も素晴らしいし尊敬もしているが、どこかに見落としや思い込みはないのか?女性の視点から見直したら、違う側面が見えてくるのではないか?作者はこの本(『フェミニスト紫式部~』)で最大限に提言した。そのための道具として、現代用語を使って、新しい概念で源氏物語に光を当ててみる、という試みをした。
〇人物像見直しの試み・・・夕顔の人物像は、光源氏目線では「はかなげで内気で、かわいい女」だが、夕顔の立場に立ってみると・・・なぜ女から見知らぬ男に声をかけたのか?なぜ素性も知れぬのに関係を続けたのか?実は幼い女の子の母だったが、なぜ娘を置いて光源氏に従ったのか?・・・夕顔の本心は、とても不安だった。夕顔の苦悩は、死んでから明らかにされる。
夕顔はなぜ、光源氏の誘いに乗ったのか? → 作者の深読みでは・・・夕顔はなぜ、光源氏を誘ったのか?それは「娘とともに、生き延びるため」。
男性に養ってもらうことも、他家にお勤めに出ることも難しい彼女にとって、千載一遇のチャンスだった、と読むと、夕顔の人物像がかなり変わってくる。
〇紫の上の「終活」・・・マンスプレイニング(上から目線の自分勝手な説明や説教)によって、紫の上の苦悩は深くなる。光源氏から紫の上に対する「教える」の言葉が圧倒的に多い。やがて死期が近づいていることを予感した紫の上は出家を望むが、光源氏は許さない。せめてもと、法会を営むことにする。
「仏の道」については、光源氏は教えていない。紫の上は自分自身の力で仏の道を学んだ。紫の上は死の間際、光源氏の腕の中では死なず、養女に手を取られながら息を引き取った。死の間際にようやく呪縛から解かれた、とも読める。
〇フィクションの読みは「正解はひとつではない」。こちらの立場からはこう読める、同じ物語でもこの人の目を通したら、こう読める、というのはフィクションの読みとして幅がある。
〇若い人から古文、漢文は役に立たないという意見をよく聞く。自分の国の言語で残っている作品に、私たちがアクセスできなくなったら、どうするのか?どこにも紹介できない、それを楽しむことができない・・・こんなもったいないことはない。何かの役に立つかはわからないけれども、私たちの文化を豊かにしてくれる。
人は、心が立ち止まって進めないときには、文学作品に救われることが多くある。私自身も自分が書くことで救われてきた。
質疑応答
〇平安時代の女子教育について・・・当時は学校がなかった。その家に生まれて、その家で学ぶ機会がないと、なかなか色々なことは学べない。現代用語で言う「親ガチャ」。それを支えるのが女房や乳母で、自分の持っている知識を教えることができた。
自分の知識で身を立てることが可能だった人がいた、ということが、文学が成立した懐だと思う。
〇乳母の給料について・・・当時は貨幣経済が主流ではなかった、といわれている。食事と住まいは保障されていた。着るものは祝い事などでもらっていて、それを何かと交換する場面もたくさんあるので、現物支給的な側面が乳母たちの生活は大きかったのでは。
〇源氏物語の現代語訳で好きな作家は?・・・おすすめは「自分の好きな作家」が良いと思う。世代が近いとか、好きな小説や作品を書いている作家の現代語訳が受け入れやすいと思う。
私自身は田辺聖子の現代語訳が好きで、他には、漫画家の小泉𠮷宏氏「まろ、ん?」(幻冬舎)が読みやすく、原文に忠実なので、横に置いて確認しながら現代語訳を読むのがおすすめ。
〇研究者の時と作家になってからとでは、源氏物語に対する思いは変わったのか?・・・
研究者の時は、どこをどうとったら論文を書けるだろうか、という目で見ていたが、小説家になって、自分の作品を書く時に、源氏物語のこういう方法が参考になるな、と思うと、そこが面白くなったり、こういうふうに紹介したらに興味を持っていただけるのかな、というふうに思うと、読み方のバラエティが増えたので、今の方が楽しいのかな、と思う。