2025年7月21日月曜日

詩人・永瀬清子をめぐる旅

2025年7月20日(日)

岡山県赤磐市 熊山へ行きました。詩人・永瀬清子をめぐる旅です。

永瀬清子(1906-1995)は、岡山県赤磐郡豊田村松木(現在の赤磐市松木)にて生まれ、幼少期を石川県で過ごし、16歳で名古屋に移り住みました。そこで上田敏詩集を読み感銘を受け、詩人になる決意をしました。
21歳で結婚、大阪へ移住、家事と育児をしながら詩を書き続け、作品を発表しました。
39歳のとき、戦争が激しくなり、夫が岡山へ転勤となり、岡山市に住む母の家に移ります。岡山空襲で大きな被害を受け、最低限の家財道具を持って避難しました。
戦争が終わってからは、生まれ故郷の松木に戻り、農家として暮らすことになりました。農作業の間も、常ににノートを持ち歩き、言葉と詩を書き続けました。
59歳で岡山市へ移住、89歳で亡くなるまで、詩人として生涯現役を貫きました。



最初に訪れた場所は、永瀬清子展示室。ここで永瀬清子の研究をされている学芸員・白根直子さんにお話を伺いました。

「今、詩人・永瀬清子がアツい。」展を眺めつつ、永瀬清子の生涯と詩作の魅力について、詳しくお話を聴かせて頂きました。その後の旅がいっそう楽しみとなりました。




次に訪れた場所は、永瀬清子の生家です。


現在は、家族と住んでいた家を修復して、展示会や喫茶店を開いています。



本人が実際に生きていた場所にいると、本人が台所で料理をして、家族と食事したり、一日の仕事を終えてから詩作に励んでいたさまを想像できます。


本人がひょっこり現れてきそうな・・・たいへん豊かな時間を過ごすことができました。





田園風景を眺めながら、併設の喫茶店「グレンデルの釜屋」でランチピザを食べました。これもまた、たいへん豊かな時間でした。




昼食を終えて、次に向かった場所は熊山橋です。「熊山橋を渡る ── 一九四八年一月十四日」の碑が立っています。



新しく架け直された熊山橋を渡り、思いを馳せました。吉井川を眺めていると、僕の住んでいる愛知県の矢作川の風景と似ていて、親近感が湧きました。聞こえたのは、ててっぽっぽうの声ではなく、うぐいすの鳴き声でした。




次に訪れた先は、赤磐市から大きく離れて、瀬戸内市にある長島です。

永瀬清子は1948年(43歳)から、国立ハンセン病療養所・邑久光明園と長島愛生園の入所者と、詩作を通じた交流で40年間通い続けていました。


歴史館の見学は、時間の都合のため断念しました。


この旅でいちばん知りたかったことは「神谷美恵子と直接の交流はあったのか?」です。

神谷美恵子(1914-1979)は、1957年(43歳)から1972年(58歳)まで、精神科医として長島愛生園に勤務していました。長島愛生園で診療をした経験から着想を得て、名著「生きがいについて」が著されました。


学芸員の白根さんに伺ったところ、はっきりとした記録は見つかっていない、とのこと。

二人の間には「岡山県生まれ」「長島愛生園・邑久光明園に通っていた」
「愛知県に在住していた・・・永瀬清子 名古屋にて16歳~21歳(1922年~1927年)
神谷美恵子 岡崎にて64歳~65歳の最晩年(1978年~1979年)」などの共通点があります。

二人の足跡を辿るべく、むつみ交流館にて、機関紙「愛生」を調べてみました。



直接の交流の記録はないものの、昭和32年6月号の「愛生」に永瀬清子が選者として入所者の詩の講評、そして神谷美恵子の精神医学的調査が掲載されていました。



これを見て、とても嬉しい思いになりました。

直接の交流はわからなかったものの、こうして二人は「愛生」を通じて邂逅していたのだ、と。
もしもこの二人が出会っていたら、どんな会話をしていたのか?と想像すると、とても心躍る気持ちになりました。


その後は近くにある「さざなみカフェ」にて、涼をとりました。



瀬戸内海の絶景を見晴らすことができました。





最後に万霊山を訪れました。しばし佇み、日陰に腰を下ろし、神谷美恵子「人間をみつめて」を手に取りました。
この本に収録されているエッセイ「万霊山にて」は、心が洗われる、非常に優れた文章です。


永瀬清子も、この万霊山を散歩したのかな?

永瀬清子が生きた足跡をたどり、赤磐から長島へとめぐった旅は、とてもアツい気持ちになった一日でした。

この旅でお会いした方々に深く感謝いたします。





2025年2月16日日曜日

読書会『辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件』

 

読書会『辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件』(城山三郎 著)を行いました。



明治時代。栃木県・足尾銅山の鉱毒で甚大な被害を受け、反対運動の急先鋒となった谷中(やなか)村は、絶体絶命の危機にあった。

銅山の資本家と結託した政府が、村の土地を買収し、遊水地として沈めようとしていた。

反対運動の指導者・田中正造は、村を守るため、政治権力に法廷での対決を挑む。だが、それは果てしなく、苦難に満ちた闘いだった。

日本最初の公害闘争を巡り、権力の横暴に不撓不屈の精神で立ち向かった人々を描いた伝記文学。



↓ 感想

・十年以上前に読んだ時は、内容が難しくて理解できなかった。読み返したら、とても粗削りな印象を受けた。

・すごい小説だと思った。為政者の横暴を感じた。

・全編にわたり、正造と残留民たちの気持ちのつながりが描かれていて、追いやられる村民たちがどうなるのかドキドキしながら読んだ。

・とても優れた共同体のリーダーで、民衆を率いて道を切り開き、法律でもって立ち向かった、公害運動の原点。

・刊行当時(1962年)は、田中正造の存在はほとんど知られていなかった。作者の存在の大きさを感じた。

・当時の時代背景を知ってから読むと、話がわかりやすくなった。救いのない話だが、現代にも通じる。

・正造と宗三郎(作中の人物)の考え方にずれがあり、正造が宗三郎を東京に置き去りにしたエピソードが印象的。

・大学教員時代だった当時の作家性の揺れが表れている。芥川賞を狙っていたが、直木賞を受賞した以後の作品からは描けない作風。

 



2025年1月19日日曜日

読書会「谷川俊太郎の詩を語り合う会」

2025年1月19日(日)

読書会「谷川俊太郎の詩を語り合う会」を行いました。

参加者がお気に入りの詩を朗読して、その詩について語りました。




『すこやかに おだやかに しなやかに』より「こころの色」、『ことばあそびうた また』より「かぞえうた」、「感謝」、「ただ生きる」、『詩の本』より「いなくならない 茨木のり子さんに」、
『夜のミッキー・マウス』より「永瀬清子さんのちゃぶだい」、「二十億光年の孤独」、「ミライノコドモ」、「そのあと」、『クレーの絵本』より「死と炎」、「もこもこもこ」、「死んでくれた」、「おばあちゃんとひろこ」、「朝のリレー」、「最後のニュース」(歌・井上陽水)、『その世とこの世』(ブレイディみかことの往復書簡)、『ららら 星のかなた』(伊藤比呂美との対談集)



参加者ひとりひとりが、谷川俊太郎の詩に想い入れがあり、そのエピソードが個性的で、聞いていてとても楽しかったです。

・仏教の経典に着想を得た自由詩がとても心に入りやすかった。
・子どもにも親しみやすい言葉だが、実は大人に向けたメッセージかもしれない。
・父親の影響で、優れた詩に触れる機会に恵まれていた。
・幼い頃に孤独を感じていたので、詩に共感して心を救われた。
・解釈が難しい詩があるが、生と死に向き合った作品もあり、考えさせられる。
・詩を読むことで、視点を変えて新しい方向を見てごらん、と伝えてくれている。
・言葉が次から次へと浮かんできて、肉体そのものから詩が出ている。
・詩から肯定的、楽観主義を感じる。




2016年12月に、あいち文学フォーラム主催で「谷川俊太郎・北川透 <ミライノコドモ>へ詩の元気を! 対話」を開催した時のことも多く思い出されて、とても感慨深い読書会でした。

↓ 2016年12月10日 ブログ記事 


2024年5月18日土曜日

文学散歩・ミステリーの聖地をめぐる~小酒井不木、江戸川乱歩のゆかりの地~

2024年5月18日

あいち文学フォーラム主催イベント

文学散歩「ミステリーの聖地をめぐる~小酒井不木、江戸川乱歩のゆかりの地(名古屋市、蟹江町を中心に)~」を行いました。

愛知ゆかりの作家・小酒井不木と江戸川乱歩のゆかりの地を、マイクロバスで巡ります。


 小酒井不木(1890-1929)海部郡蟹江町出身。医学者(生理学・血清学)、推理小説作家。

江戸川乱歩(1894-1965) 推理小説作家。三重県名張市出身。学生時代を名古屋市で過ごす。


乱歩と不木の関わりはとても深く、不木は乱歩のデビュー作『二銭銅貨』を絶賛して世に送り出しました。のちに休筆宣言をした乱歩を誘って、小説合作組合「耽綺社」を結成するなど、終生乱歩を助けていました。また乱歩の熱心な勧めで不木自らも創作活動を始め、豊富な医学知識に基づいた作品を手掛けました。『人工心臓』『恋愛曲線』などは、日本におけるSF小説の先駆的作品です。

 

小酒井不木 宅跡碑(昭和区鶴舞)


小酒井不木は、1917年に東北大学医学部助教授となり、同時に海外に留学しましたが、病を患って帰国しました。

以後、この地に住み、闘病生活とともに、医学生の指導と文筆生活にはげみました。

 

瑞陵高校メモリアルパーク(旧 愛知県立第五中学校)


乱歩の出身校であり、学生時代は押川春浪や黒川涙香などの小説に親しんでいました。

瑞陵高校は、外交官・杉原千畝の母校で有名です。


江戸川乱歩 旧居跡記念碑(栄スカイル入口付近)


 

料亭 寸楽園跡地記念碑、大須ホテル跡地などを車窓から眺め、乱歩・不木ゆかりの地を巡る旅行は、蟹江町へ移ります。

 


昼食は「味彩(あじさい)・もへの」で地産地消のご膳料理をいただきました。色とりどりの和洋料理を楽しみました。




郷土料理もろこの佃煮が甘辛くて、とても美味しかったです。



 

 

蟹江町歴史民俗資料館にて、小酒井不木の展示室を見学



 

鹿島神社内の文学苑にて、不木の句碑




「いつとんで きたか机に 黄の一葉」





不木生家跡から、蟹江図書館にて、不木生誕地碑






蟹江町観光交流センター「祭人(さいと)」から見晴らす名古屋



晴天の下、参加者の皆さまの笑顔も、みな晴れやかな文学散歩でした。


2024年3月18日月曜日

講演レポート 奥山景布子 文学講演会・作者が語る『フェミニスト紫式部の生活と意見 ~現代用語で読み解く「源氏物語」~』

2024年3月17日(日)

名古屋市・ルブラ王山にて、あいち文学フォーラム主催イベント

奥山景布子 文学講演会・作者が語る『フェミニスト紫式部の生活と意見 ~現代用語で読み解く「源氏物語」~』を行いました。



2023年に刊行された『フェミニスト紫式部の生活と意見』(集英社)をテーマに講演をされました。

〇千年の時を超えて届く女たちへの「連帯」のメッセージ。平安文学研究者出身の作家・奥山景布子が「フェミニズム」「ジェンダー」「ホモソーシャル」「おひとりさま」「ルッキズム」など、現代を象徴するキーワードを切り口に「源氏物語」を読み解く。そこに浮かび上がってきたのは、作者・紫式部の女性たちへの連帯のまなざしだった。時空を超えて現代の読者に届くメッセージ──希望ある未来へとバトンを繋げる新解釈。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下、要約と抜粋

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〇『フェミニスト紫式部~』は、「源氏物語」を、今の私たちの感覚でわかりやすく読むには、こういう所に注目するべきではないのか、ここを見過ごしてはいけないのではないのか、という内容の本である。

〇紫式部の視点「サブカル」からのまなざし・・・日本語は、元々文字のない言語だった。昔の日本語はそれを書くための文字を持っていなかった。どうして書けるようになったのかというと、中国から漢字が輸入されてきたから。漢字によって、日本語を表記することが発明された。

万葉集、日本書紀、古事記などは、日本語をどうやって文字に書き写すことができるか、読み書きができるようになるかの「実験場」のような側面があった。

〇漢文を真名(まな)という表現をしていた。仮名(かな)の反対が真名で、漢字は輸入された新しい文化で、漢字に馴染むことができる人は、特定の階層(お坊さんや官僚、政治家など)に限られていた。女性には漢字は馴染めない状況があった。

和文(仮名)が発明されて、仮名の文化は女性に浸透し、漢字は男のもの、という文化が成立した。漢字を「男手(おとこで)」と呼ぶようになり、仮名を「女手(おんなで)」と呼ぶことになった。

文字と文体に「ジェンダー」(社会的・文化的な役割としての「性」)が生まれた。

〇漢籍(歴史書、思想書、漢詩文集)は価値でいうと上、和文で書かれた作り話は価値の低いものとされていた。

現在でいうと少し前までは文学が上、アニメやコミックが下といった、ハイカルチャーに対するサブカルチャーがあり、平安時代においては漢籍が上で、和文の作り話は下、と見なされていた。

現在では源氏物語は古典だが、当時はサブカルであった。


〇源氏物語の特異性・・・同時代の作品(竹取物語、伊勢物語など)は、作者が誰かわからない。どのような事情で成立したのかもわからない。なぜかというと、作者であることが名誉ではないから。

源氏物語の特別なところは、作者名がわかっていて、成立事情もわかっていること。「男性」や「権威」が認め、賞賛することで、サブカルだった源氏物語の地位が向上していった。他の物語にはない現象。

詳しくは『ワケあり式部とおつかれ道長』奥山景布子著(中央公論新社)を参照。





〇「古典」としての歴史・・・源氏物語の注釈書は、歌人による研究が最初で、その後は本居宣長に代表される国学が江戸時代に発展して注釈書が作られた。その後、東京帝国大学に国文学科が登場した。が、全て男性中心で注釈、研究、評価が行われていた。

どの注釈書も素晴らしいし尊敬もしているが、どこかに見落としや思い込みはないのか?女性の視点から見直したら、違う側面が見えてくるのではないか?作者はこの本(『フェミニスト紫式部~』)で最大限に提言した。そのための道具として、現代用語を使って、新しい概念で源氏物語に光を当ててみる、という試みをした。





〇人物像見直しの試み・・・夕顔の人物像は、光源氏目線では「はかなげで内気で、かわいい女」だが、夕顔の立場に立ってみると・・・なぜ女から見知らぬ男に声をかけたのか?なぜ素性も知れぬのに関係を続けたのか?実は幼い女の子の母だったが、なぜ娘を置いて光源氏に従ったのか?・・・夕顔の本心は、とても不安だった。夕顔の苦悩は、死んでから明らかにされる。

夕顔はなぜ、光源氏の誘いに乗ったのか? → 作者の深読みでは・・・夕顔はなぜ、光源氏を誘ったのか?それは「娘とともに、生き延びるため」。

男性に養ってもらうことも、他家にお勤めに出ることも難しい彼女にとって、千載一遇のチャンスだった、と読むと、夕顔の人物像がかなり変わってくる。



〇紫の上の「終活」・・・マンスプレイニング(上から目線の自分勝手な説明や説教)によって、紫の上の苦悩は深くなる。光源氏から紫の上に対する「教える」の言葉が圧倒的に多い。やがて死期が近づいていることを予感した紫の上は出家を望むが、光源氏は許さない。せめてもと、法会を営むことにする。

「仏の道」については、光源氏は教えていない。紫の上は自分自身の力で仏の道を学んだ。紫の上は死の間際、光源氏の腕の中では死なず、養女に手を取られながら息を引き取った。死の間際にようやく呪縛から解かれた、とも読める。



〇フィクションの読みは「正解はひとつではない」。こちらの立場からはこう読める、同じ物語でもこの人の目を通したら、こう読める、というのはフィクションの読みとして幅がある。




〇若い人から古文、漢文は役に立たないという意見をよく聞く。自分の国の言語で残っている作品に、私たちがアクセスできなくなったら、どうするのか?どこにも紹介できない、それを楽しむことができない・・・こんなもったいないことはない。何かの役に立つかはわからないけれども、私たちの文化を豊かにしてくれる。

人は、心が立ち止まって進めないときには、文学作品に救われることが多くある。私自身も自分が書くことで救われてきた。



質疑応答

〇平安時代の女子教育について・・・当時は学校がなかった。その家に生まれて、その家で学ぶ機会がないと、なかなか色々なことは学べない。現代用語で言う「親ガチャ」。それを支えるのが女房や乳母で、自分の持っている知識を教えることができた。

自分の知識で身を立てることが可能だった人がいた、ということが、文学が成立した懐だと思う。

〇乳母の給料について・・・当時は貨幣経済が主流ではなかった、といわれている。食事と住まいは保障されていた。着るものは祝い事などでもらっていて、それを何かと交換する場面もたくさんあるので、現物支給的な側面が乳母たちの生活は大きかったのでは。


〇源氏物語の現代語訳で好きな作家は?・・・おすすめは「自分の好きな作家」が良いと思う。世代が近いとか、好きな小説や作品を書いている作家の現代語訳が受け入れやすいと思う。

私自身は田辺聖子の現代語訳が好きで、他には、漫画家の小泉𠮷宏氏「まろ、ん?」(幻冬舎)が読みやすく、原文に忠実なので、横に置いて確認しながら現代語訳を読むのがおすすめ。


〇研究者の時と作家になってからとでは、源氏物語に対する思いは変わったのか?・・・

研究者の時は、どこをどうとったら論文を書けるだろうか、という目で見ていたが、小説家になって、自分の作品を書く時に、源氏物語のこういう方法が参考になるな、と思うと、そこが面白くなったり、こういうふうに紹介したらに興味を持っていただけるのかな、というふうに思うと、読み方のバラエティが増えたので、今の方が楽しいのかな、と思う。






2024年1月24日水曜日

奥山景布子さん 文学講演会のお知らせ



奥山景布子 文学講演会

作者が語る『フェミニスト紫式部の生活と意見 ~ 現代用語で読み解く「源氏物語」 ~』

主催 あいち文学フォーラム

日時 令和6年3月17日(日) 午後2時~3時30分(受付開始午後1時20分~)

会場 ルブラ王山・弥生の間(地下1階)名古屋市千種区覚王山通8-18

地下鉄東山線「池下」2番出口から徒歩3分

会費 2,000円(予約申込の上、当日受付でお支払い下さい)先着100名様

申込 令和6年3月3日(日)までに下記の連絡先にお申し込み下さい。

連絡先 上中 090-7043-0159 応答できない場合、後で連絡します。

◎講演後、著書の販売とサイン会があります。


奥山景布子さんのプロフィール

名古屋大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。

主な研究対象は「蜻蛉日記」「源氏物語」「とはずがたり」などの中世仮名文字。

小説家としては、2007年に「平家蟹異聞」で第87回オール讀物新人賞を受賞。

’09年、受賞作を含む『源平六歌撰』で単行本デビュー。

’17年度愛知県芸術文化選奨新人賞受賞。

’18年、『葵の残葉』で第37回新田次郎文学賞、

第8回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。

『元の黙阿弥』『葵のしずく』『やわ肌くらべ』『浄土双六』など著書多数。

近刊は『フェミニスト紫式部の生活と意見~現代用語で読み解く「源氏物語」~』、『ワケあり式部とおつかれ道長』。