2017年6月27日火曜日

文学講座 茨木のり子の「詩」を読む のお知らせ



主催 あいち文学フォーラム
2017年 第1回文学講座
茨木のり子の「詩」を読む

●日程:7月23日(日)午後1時30分~午後4時
●会場:イーブルなごや 2階・第2研修室
(地下鉄名城線「東別院」下車 1番出口から東へ徒歩3分)
●参加費:500円  ●定員:40名程度

「現代詩の長女」といわれる茨木のり子は、1926年(大正15)6月12日、大阪に生まれる。1932年(昭和7)に医師である父の転勤に伴い愛知県西尾市に移る。1939年(昭和14)に愛知県立西尾高等女学校に入学、その後父が吉良町吉田に病院を開業して転居。1943年(昭和18)に帝国女子医学・薬学・理学専門学校(現・東邦大学)薬学部に入学するまで吉良町で過ごす。2006年(平成18)クモ膜下出血のため死去。

【第1部】 午後1時30分~2時30分
水内喜久雄さんのお話
「茨木さんのやさしさを受け取って」

■水内喜久雄氏プロフィール
1951年福岡県生まれ。編著書に『輝け!いのちの詩』『いま、きみにいのちの詩を』『ステキな詩に会いたくて―54人の詩人をたずねて―』など多数。
編集した『詩と歩こう』シリーズの1冊目は茨木のり子の『落ちこぼれ』。
コーヒーバリスタ、ティースペシャリストなどの資格マニアでもある。

【第2部】 午後2時40分~午後4時
茨木のり子の詩を読み、聴き、感じましょう。

申し込み・お問い合わせ〈E-mail〉
●申し込み方法:7月18日までにお名前・お電話番号(携帯電話可)を明記の上、下記メールアドレスに送信して下さい。
●メールアドレス: aichibungaku@yahoo.co.jp





2017年6月10日土曜日

名古屋文学散歩

2017年6月10日(土)

あいち文学フォーラム主催のイベント・「名古屋文学散歩」を行いました。

名古屋ゆかりの文学の地を、小型バスで巡る一日です。

始めに、案内人の山下達治氏の解説を受け、それからバスで各地をまわります。




二葉亭四迷の旧居址(堀川日置橋あたり・紫川と思われる 玄蕃新地 葛町)
(現・中区松原3丁目)1868~1872まで名古屋に居住。



『僕が九才か十才のときだつたと思ふ、名古屋の小学に通つてた頃、或日の事に学校から帰つて来ると、唯有る川縁で大勢の人群りがしてる。
何だらうと人を掻退けて頭を突込んで見ると水死だ。既に菰を引掛けてあつたから顔は見えなかったが、膝から下は出て居たので、善く見ると二人だ。』
(「巨匠断片」明治40年・朝日新聞)



中勘助「銀の匙」ゆかりの地(水主町 廻間町)
(現・中区大須1丁目 松原1丁目 大須スケートリンクの近く)



『伯母さんの住んでいるのは「お船手」といって旧幕時代に藩の御船手組のいたという川ばたの小さな家のたてこんだ一郭であった。
(略)自分よりずっと背が高くなった私を肩からお賓頭盧様(びんつるさま)みたいになでまわした。
そうしてひとが消えてなくなりでもするかのようにすこしも目をはなさず「まあ、そのいに大きならんしてちょっともわかれせんがや」といいながら火鉢のそばにすわらせ、挨拶もそこそこにもっとなでたそうな様子で「ほんによう来とくれた、まあ死ぬまで会えんかしらんと思っとったに」と拝まないばかりにして涙をふく。
(「銀の匙」大正2年・朝日新聞)



夏目漱石「三四郎」ゆかりの地(笹島停車場前あたりと思われるが諸説あり)
(現・中村区名駅南1丁目)



『九時半に着くべき汽車が四十分ほど後れたのだから、もう十時は過っている。けれども暑い時分だから町はまだ宵の口のように賑やかだ。
宿屋も眼の前に二、三軒ある。ただ三四郎にはちと立派過ぎるように思われた。
そこで電気燈の点いている三階作りの前を澄まして通り越して、ぶらぶら歩行いて行った』
(「三四郎」明治41年・朝日新聞)



途中で美味しい日本料理の昼食をいただきました。





小酒井不木(こさかい ふぼく)宅跡(中区御器所町北丸屋)
(現・昭和区鶴舞4丁目)



『小酒井さんといへば、私はすぐこの椅子を思ひ出す。私の頭の中では、この持主と品物とが、まるで一つの物の様に仲よしになつてゐる。
それは若しかしたら、小酒井さんが、アノ肱掛(ひじかけ)椅子と同じ様に、いつも変らず親切で、肌触り柔かで、思ひやりが深くて、抱擁力に富んでゐた、その相似から来てゐたのかも知れない。
肱掛椅子の凭(よ)り心地、といふ比喩は故人に対して礼を失するかも知れぬけれど。』
(江戸川乱歩「肱掛椅子の凭り心地」昭和4年・新青年)



平和公園にて、渡辺新左衛門の墓




『「朝命というのは、どうしても腑に落ちない。いかなる理由による朝命なのか、冥土の土産に、ぜひ聞かせてほしい」
若侍たちをにらみつけ、強い口調でいった。このため、二人の者が走って行った。そのまま、時間が流れた。だれも説明に来る様子はない。
西からは鉛色の雪雲が這うようにのびてきて、日はすっかり暮れようとしていた。
目付は、処刑を命じた。まず、渡辺新左衛門の首を新野久大夫が打ち落とした。』
(城山三郎「冬の派閥」昭和56年・中日新聞)



徳川宗春(1696~1764)の墓




『宗春は、施政の心得は、「慈忍」の二字に尽きると考え、その二字を大書して床の間に掲げた。
しかも、「慈」の上には太陽、「忍」の上には月を描かせた。慈愛の心は、太陽のように領内の隅々まで照らすべきであり、忍耐の念は、月のように静かにわが心に満ちよ、というのである。
宗春が自ら書いた「温知政要」には、そうした精神が溢れており、慶勝の心をとらえた。』
(城山三郎「冬の派閥」)



名古屋の街は、濃尾地震や名古屋大空襲からの復興・開発を経て、街並の様子も大きな変貌を遂げ、歴史を物語る場所が目立たなくなりました。
それでも名古屋には、多くの人に知られずに眠っている場所が、まだまだたくさん存在しています。
それらの埋もれた歴史を掘り起こし、また、過去の縁(よすが)をしのぶ、発見に満ちた一日でした。




2017年1月8日日曜日

二葉館の読書会・遠藤周作「男の一生」

名古屋市東区の二葉館で、読書会を行いました。



テキストは遠藤周作「男の一生」(上巻)。
戦国時代の武将・前野将右衛門長康を描いた、壮大な歴史小説です。



織田信長に仕えるも、暇を出されてしまい、やがて親友の蜂須賀小六と共に木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)に仕えます。

野武士から成り上がり、仲間と共に出世していくところは、血沸き肉躍る展開で、読んでいてとても楽しいです。

恋に苦しんだり、人並みに悩みを抱えるなど、人間くさい部分もみられ、面白い作品です。

主人公の生まれ育った地が現在の愛知県江南市なので、木曽川をはじめとした近隣の地名が数多く出ており、まさに愛知の文学、ということで、議論もとても楽しく盛り上がりました。




藤吉郎や小六と共に出世して、様々な戦をするところは、戦国時代のおもしろさのエッセンスが詰まっています。将右衛門の弱さも描いているところも共感が持てて良かったです。



終了後は名古屋駅へ移動して、食事会。
とっても美味しかったです。

2016年12月11日日曜日

谷川俊太郎・北川透 対話 講演レポート

2016年12月10日(土)

名古屋・東別院イーブルなごやにて、あいち文学フォーラム主催のイベント
詩人・谷川俊太郎氏と、文芸評論家・詩人の北川透氏との対話「〈ミライノコドモ〉へ詩の元気を!」を開催しました。





ゆったりと椅子に座って、それぞれの詩人としての生涯、在り方を問います。
地方各地の文学館についての話・・・静岡県・三島にある大岡信(まこと)ことば館や、山口県湯田温泉の中原中也記念館、愛知県に文学館に存在しないことなどの、
文学館を維持し続けることの難しさ。



戦前のラジオを収集しておられ、180ものコレクションを有し、フォルクスワーゲンのシンプルなデザインに魅かれた話。
大岡信との交流関係について、幼少より秀才で知られた大岡氏に、兄貴分として教えてもらった話。
谷川氏がいつまでも元気で詩を書き続けていることの元気の秘密について。
数年で膨大な詩集を出し続けること、話していることがそのまま詩になっていて、それでいて非常に深い現代詩となっていること。





「詩に就いて」<私、谷川>の朗読


「十代の私は何も考えずに書いていた
 雲が好きだったから雲が好きだと書いた
 音楽に心を動かされたらそれを言葉に翻訳した
 詩であるかどうかは気にしなかった
 ある言葉のつながりが詩であるのかないのか
 そんなことは人が勝手に決めればいい
 六十年余り詩を書き続けてきて今の私はそう思う」(一部抜粋)









ポエム(詩作品)とポエジー(詩情)との違いの話。





<その男>の朗読



「これは俺が書いた言葉じゃない
誰かが書いた言葉でもない
人間が書いたんじゃない
これは「詩」が書いた言葉だ>
内心彼はそう思っている
謙遜と傲慢の区別もつかずに」(一部抜粋)



「私」とは何か?という問題について。自分の書いた詩が金になった話。
心と魂という言葉のちがい、心とは個人に属している、魂は個人を超えた生き物全体、存在全体に関わっていくもの。





二人の世界が繰り広げられ、対話は深まっていきます。
二人の対話が深まるにつれ、対話に耳を傾ける聴衆の熱心さが伝わってきます。





「トロムソコラージュ」<臨死船>の朗読

「知らぬ間にあの世行きの連絡船に乗っていた
けっこう混みあっている
年寄りが多いが若い者もいる
驚いたことにちらほら赤ん坊もいる
連れがいなくてひとりの者がほとんどだが
中にはおびえたように身を寄せ合った男女もいる」(一部抜粋)



<臨死船>と宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」について。



<ミライノコドモ>の朗読

「キョウハキノウノミライダヨ
アシタハキョウミルユメナンダ
ダレカガアオゾラヤクソクシテル
ミドリノノハラモヤクソクシテル
コレカラウマレルウタニアワセテ」(一部抜粋)


詩の朗読を谷川氏みずからが語る場面は、会場が熱気の渦のような雰囲気で、いまここでしか為し得ない、まさにライブそのものでした。

二人とも語っているのが楽しくてしょうがない。そんな対話を間近で聴けた嬉しさでいっぱいのイベントでした。

対話を聴いて、とても勉強になり、一期一会のまたとない、貴重な体験をさせて頂きました。



2016年11月5日土曜日

谷川俊太郎・北川透 <ミライノコドモ>へ詩の元気を! 対話




谷川俊太郎・北川透 <ミライノコドモ>へ詩の元気を! 対話

日時:2016年12月10日(土)
   13時受付開始 / 13時30分開演~16時終演

会場:イーブルなごや ホール(名古屋市男女平等参画推進センター・女性会館)
   名古屋市中区大井町7番25号 TEL 052-331-5288
入場料:2,000円 (全自由席)
  ※当日も受け付けますが席数に限りがあるため、事前に入場券をお求めください。

■お申し込み・入場券のお求め
<E-mail>aichibungaku@yahoo.co.jp または <Fax>052-613-8551(市川)へ
名前・住所・電話番号を記入、お申し込みの上、
ゆうちょ銀行「払込取扱票」にて下記口座にお振込みください。
受領証をもって入場券とさせていただきます。
 ※締め切り 11月25日(金)
  振替口座 00890-0-136146 あいち文学フォーラム

■お問い合わせ
 Tel 090-5865-0089(市川) 090-7043-0159(上中)
 〒453-0013 名古屋市中村区亀島1-11-11

 アートハウスあいち内 あいち文学フォーラム事務局


谷川俊太郎(たにかわ しゅんたろう)
詩人。1931年東京都生まれ。
1952年第1詩集「二十億光年の孤独」を刊行。1962年「月火水木金土日のうた」で第4回日本レコード大賞作詞賞、以後「マザーグースのうた」で日本翻訳文化賞、「日々の地図」で読売文学賞、「トロムソコラージュ」で第1回鮎川信夫賞など受賞、著書多数。詩作のほか、絵本、エッセイ、翻訳、脚本、作詞、近年は詩を釣るiphoneアプリ「谷川」、郵便で詩を送る「ポエメール」など、詩の可能性を広げる新たな試みにも挑戦している。近著に「ミライノコドモ」他。哲学者の父・徹三は常滑市出身で愛知五中(現・瑞陵高校)卒。

北川透(きたがわ とおる)
詩人・文芸批評家。1935年碧南市生まれ。愛知学芸(現・教育)大学卒業後、豊橋で1962年から1990年まで、詩と批評誌「あんかるわ」を編集発行し詩作、評論の世界をリード。下関へ移住し、梅光学院大学教授などもつとめ、「北川透・詩論の現在」全3巻で第3回小野十三郎、詩集「溶ける、目覚まし時計」で高見順賞、「中原中也論集成」で藤村歴程賞、本年6月、中日文化賞。現在「北川透現代詩論集成」全8巻刊行中。評論「谷川俊太郎の世界」など著書多数。