2019年7月16日火曜日

文学散歩「新美南吉のふるさとを訪ねて」  


文学散歩「新美南吉のふるさとを訪ねて」  



2019年7月7日(日)     主催:あいち文学フォーラム



ずっと梅雨らしいお天気だったので、不安に思っていましたが、当日の朝方はどちらかというと晴れに近い曇り空。さい先の良さを感じました。

9時までに名古屋駅西口方面にある名鉄ニューグランドホテル前に参加者26名全員が集合し、予定通り9時15分に半田に向けて、みやび観光の中型バスで出発しました。







バスは名古屋駅から広小路を走り広小路本町で右折、大須方面に南下し、100m道路手前で減速。その辺りは知っている方も多いでしょうが、以前に中日シネラマという映画館があった所です。案内講師の山下さん(あいち文学フォーラム)によると、その付近には、南吉が名古屋に来た時にデートもしたことのある「喫茶ドン」というお店があったそうです。

当時、南吉が武豊線に乗ってきて降りただろうと思われるJR熱田駅の前を通って名古屋高速に、そして、知多半田道路をバスは進みました。車中では、南吉さんと3人の女性のことを詩の朗読を交えながら山下さんが説明しました。幼なじみの木本咸子さん、河和第一尋常小学校の代用教員時代の同僚・山田梅子さん、「ごん狐」に登場する中山の殿様の末裔の中山ちゑさんのことに耳を傾けていると、あっと言う間に半田の新美南吉記念館に到着しました。







新美南吉記念館に入る前にさっそく記念写真を撮りました。







新美南吉記念館では、学芸員の遠山光嗣さんが、生い立ち、少年時代、恋愛、東京外国語学校英文科に入学してからのこと、児童文学双璧の宮澤賢治との巡り合わせ、巽聖歌との関係など、南吉の29歳7ヶ月の生涯を作品と絡めながら丁寧に説明してくださいました。詳しくはここでは記しませんが、大正2年7月30日に生まれ、昭和18年3月22日に喉頭結核のため亡くなった新美南吉(本名:正八)の短い人生は、悲しくもありますが、その感受性が生んだ素晴らしい足跡に息をのみました。

特に印象に残ったことは、多くの人達が小学校の教科書で習う「ごん狐」の成り立ちです。はじめに南吉が草稿として書いた「権狐」は、鈴木三重吉が創刊した「赤い鳥」に「ごん狐」として掲載されました。その折りに南吉の草稿の「権狐」は方言の会話部分が共通語になっただけでなく、内容もかなり手を入れられていたようです。また、最後の方で兵十がごんを火縄銃で撃った場面(いつ読んでも涙が出てしまう)は、草稿で『「権、お前だったのか・・・・、いつも栗をくれたのはー。」権狐は、ぐったりなったまま、うれしくなりました。』となっていますが、「赤い鳥」に掲載され、教科書にも載った「ごん狐」では『「ごん、おまいだったのか。いつも栗をくれたのは。」ごんは、ぐったり目をつぶったまま、うなずきました。』と変わりました。

教科書にも載った「ごん狐」の方は、読む人にいろいろ考えさせることになる終わり方にしたということのようです。どちらの終わり方も「あり」だと思いました。








新美南吉記念館のあとは、半田市街にある「魚太郎・蔵のまち」での昼食です。







昼食後は、生家、常夜灯、八幡社などを歩いて巡る散策の時間。その頃には、空は晴れ渡り、日射しが照りつけて暑さがピークとなってきました。
まずは、南吉の生家、渡辺家を見学。南吉は8歳の時、亡き母りゑの実家新美家の養子となりますが、寂しさに耐えきれず、渡辺家に戻ったということです。
向かって右が父の畳屋、左が継母の下駄屋でした。生家の中には自由に入ることができ、傾斜地に建っているために前から見ると平屋で裏に回ると二階建てになっている家の中をあちらこちらと皆で見学しました。
南吉の写真も飾ってありました。









この辺りは常夜灯や道標などがあり、人通りも多かったようです。
常夜灯は、幼なじみとの遊びを描いた童話「花をうめる」の舞台になっています。






生家から歩いてすぐのところにある八幡社は、生家の下駄屋とともに、「狐」の中で鮮明に描かれています。八幡社は、多分、はじめて訪れても、前に来たことがあるように感じる場所だと思います。




八幡社からはなれの家跡(南吉が亡くなったところ)を通って、常福院に到着。岩骨城主の中山勝時が菩提寺として建立した浄土宗西山派のお寺。境内には、南吉の異母弟の益吉さん(1944年戦死)の名前を刻んだ墓碑もありました。









バスに乗り、少し離れた所にある南吉の養家へ。大きな山桃の木がある藁葺きの家で、畑に囲まれた景色のいい場所にあります。ただ、少年の南吉にとって、祖母と二人きりのその家での生活は、大変寂しいものであったようで半年後には、生家に戻ったそうです。





北谷墓地にある南吉のお墓にお参りしました。その後、半田市街に戻って、 半田運河沿いにある旧中埜半六邸に入っている「おとうふ工房いしかわ」で、それぞれ好きな飲み物ととうふドーナツ&豆乳アイスで、お茶の時間を過ごしました。







半田での最後の見学場所、貝殻詩碑の前で記念写真。
碑文:かなしきときは貝殻鳴らそ。二つ合わせて息吹きをこめて。静かに鳴らそ、貝殻を。








おじいさんのランプ」で50いくつものランプを巳之吉が池のふちの木につるして消していく情景が目に浮かぶ半田池(といっても現在は埋め立てられソーラーパネルが設置されている)の横を通り、巳之吉がランプを仕入れに行った大野に入る手前で右に折れて帰途につきました。

南吉さんのふるさとをみんなで楽しく回り、時間があっという間に過ぎた一日でした。今後もあいち文学フォーラムの南吉さんの企画は続きます。

またご案内しますね。


(文章・写真 上中)


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