2018年7月13日金曜日

文学散歩「文学と歴史の道」


2018年7月12日(木)

あいち文学フォーラム主催のイベント「文学散歩・文学と歴史の道」を行いました。
幕末の尾張徳川家ゆかりの地などを、マイクロバスで巡る旅です。


名古屋から出発して、清州市の瑞正寺へ。





この地より北方に尾張藩の刑場があり、処刑された罪人の菩提を弔う宝塔があります。
処刑された尾張藩士は、処刑前にこの宝塔を拝んでから刑場の露と消えた、といわれます。




愛西市の、尾張藩横井家知行所・赤目城址。




この近辺の甚目寺佐織線は、尾張藩主がしばしば鷹狩りに出掛けたことで知られています。




昼食は、桑名市の「歌行燈」で、はまぐり膳をいただきました。











その後、六華苑(旧諸戸清六邸)へ。








山林王と呼ばれた桑名の実業家・二代目諸戸清六の邸宅として大正2年に竣工しました。







重要文化財の洋館と和館と、広大な庭園が見事な名勝地です。




六華苑を出た後は、船津屋界隈を散歩します。
かつての宿場の本陣で、泉鏡花が宿泊した船津屋は、彼の作品「歌行燈」では湊屋として登場します。





「古い家ぢゃが名代で。前には大きな女郎屋ぢゃったのが、旅籠屋に成ったがな、部屋々々も昔風其のまゝな家ぢゃに、奥座敷の欄干の外が、海と一所の、大い揖斐の川口ぢゃ。」
(泉鏡花「歌行燈」より 明治43年)








はまぐりの磯の香りを味わい、名古屋から桑名への歴史と文学の道を学んだ一日でした。



2018年3月21日水曜日

尾張藩士末裔からの聞き取り


2018年3月20日

愛知県内の某所にて、尾張から八雲町への入植者の末裔・岡野良一氏から聞き取りをしました。



岡野氏は、昭和5年・北海道八雲町生まれで、昭和24年に名古屋大学に入学。
坂田昌一教授のもとで物理学を学ぶために名古屋へ移り住みました。



岡野氏の大伯父・頼隆が第一回基幹移住者として北海道・遊楽部(ユーラップ)と呼ばれる未開の地へ単身移住したのが、明治11年(1878年)。
ユーラップとは、魚が多くいるところ、という意味です。

尾張藩主・徳川慶勝は、その新天地にスサノオノミコトが詠んだ「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」から引用し、「八雲(やくも)」と名付けました。
以来、尾張から八雲へ入植する世帯が続きました。



現在の愛知県東郷町・和合知々釜にあった私塾・和合書院から、尾張藩士の子弟を中心とした世帯が続々と八雲町へ移住しました。



岡野氏は、名古屋に引っ越したとき、その跡地の隣に住んでいたそうです。



聞き取りでは、数多くのエピソードが語られました。



城山三郎氏が「冬の派閥」の執筆のため取材を受けたこと。タイトルは「冬の派閥」ではなく、本当は「北の砦」としたかった、と語っていたこと。
尾張藩の佐治為泰が江戸城明け渡しの際、整然と台帳を整えて任務を遂行したため、西郷隆盛はそのことに感銘を受け、刀を預けて城内の案内を頼んだこと。
岡野氏の祖父が、日清戦争における乃木希典の采配を批判していたこと。
幕末に起こった青松葉事件を、尾張藩士の末裔としての思いを語ったこと。その後の廃藩置県にいたるまでの、薩長にたいする思いを語ったこと。



尾張と八雲との関係も語られました。

尾張からの入植者と、先住民のアイヌとの関係はすこぶる良かったこと。
「~さん」を「~そん(尊)」と呼ぶなど、尾張の武士ことばが、八雲に息づいていたこと。
また、八雲に移住した佐治為泰氏と、岡野氏の曽祖父・頼氏が手がけた鮭の孵化事業が成功したこと。



まだまだ八雲に関する面白いエピソードがあるので、なんとか語り継いでいきたい、と話されていました。



2018年3月12日月曜日

拡大読書会・奥山景布子「葵の残葉」


2018年3月11日(日)

名古屋・東別院イーブルなごやにて、あいち文学フォーラム主催イベント・拡大読書会を行いました。
テキストは奥山景布子「葵の残葉」(文藝春秋)。




徳川傍系の高須家から、尾張・会津・桑名に散った若き兄弟が、維新派と佐幕派に分かれ対立しながらも、葵の御紋を胸に新時代の礎を築いた四兄弟の運命を描いた作品です。




はじめに奥山さん本人に送った、作品に関する質問の回答をいただきました。
その後、奥山さんがラジオ出演された時の録音を聴きました。
持ち寄った資料の簡単な紹介をして、グループに分かれて読書会開始です。


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・これまで慶勝について情報が少なかったので、この作品で興味が深まった。
・おけいが重要な役割を担っていた。慶勝とのやりとりは温かみを感じた。
・明治維新の隠れたヒーローだと思うが、書き方がさびしく感じた。
・長州側の首実検を「したこと」によって、青松葉事件の原因となったが、首実検を「しなかったこと」によって、戦乱が起こったらどういう展開になったか、ということになったか、ということも想像してほしい。
・征伐という形で青松葉事件に至ったことがはっきりとせず、慶勝に対する歯がゆさを感じる。
・慶勝は、近代装備を見知っていたので、どうしても戦争を起こさずに外交で決着をつけたかった。戦争を防いだ反対の結果として、長州の3人の首実検で収めた。
・広島まで写真機を持参したところは、反乱のある程度の終結を予想しており、そこの慶勝の考えが出ていた。
・写真機が発達した西欧の文明には勝てない、そこから薩摩とは戦いたくない、という心理があったのではないか。



・四兄弟の写真撮影からの切り出しで、会話が多くて読みやすい。
・弟たちは、兄・慶勝の行動を皮肉っている。
・尾張徳川の古文書を読んでいて、その視点からだと慶勝のしたことは御三家の筆頭でありながらけしからん。青松葉のくだりが不鮮明。
・佐幕派からみれば慶勝は裏切り者だが、政治の不安定さを抱えながら立ち回るつらさを感じる。
・慶勝は勤王で、弟たちを気にかけてはいるが、内乱を起こしてはいけないという苦しい立場にせまられている。慶勝をもっと大事にしてほしかった。
・新撰組が好きなので、容保たち兄弟と同じ年代で京都にいたこととつなげて読んだ。
・「冬の派閥」から40年近く経過しているので、新しい資料が出た今、慶勝の新しい面が見られた。
・慶勝は賢い殿様だ。北海道八雲を支援するとき、名古屋の各銀行にはたらきかけて出資させた。政治家としてはいまいちだが、経済人としてすばらしい。
・定敬(さだあき)が奔走していて、一番好感が持てる
・「革命」が西洋とは違うものとなっていて、それは天皇制度と関係していたのでは。
・写真が趣味で、各場面でモチーフになっていて、それがとても見事に描写されている。西郷隆盛とのやりとりは、実際の写真がないことから、より一層おもしろく感じた。



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話し合いは時間が足りないくらい白熱していました。様々な人の意見が出て、とても勉強になって楽しかった、と感想もいただきました。
文学フォーラムの母体である読書会に興味をもった方もいらっしゃいました。

テキストを提示することによって、まったく知らない作品の世界を知る面白さもまた、読書会の醍醐味ではないか、と感じました。



2018年2月19日月曜日

拡大読書会・城山三郎「冬の派閥」

2018年2月18日。

名古屋市・東別院イーブルなごやにて、あいち文学フォーラム主催のイベント・拡大読書会を行いました。
テキストは、城山三郎「冬の派閥」。



幕末の尾張藩主・徳川慶勝を主人公とした、尾張藩内の派閥抗争の苦悩、明治維新以後、開拓のため北海道へ入職した家臣たちの苦難を描いた作品です。



はじめに全体で作品にまつわる話題の情報交換をしました。



作品の重要場面である、青松葉事件の概要、北海道八雲町と交流のある小牧市との現在のかかわりなどの情報を提供しました。



参加者をグループ分けして、各々が自分の意見や感想を自由に話し合います。
1時間の話し合いの後、全体会でそれぞれの班で出た感想を発表しました。



・慶勝は、優しくて「和合」の人である。徳川慶喜との対比で、慶喜の尻ぬぐいをさせられた。慶勝の心の休まる暇がなかった。
・戦がなく、江戸まで新政府軍が進軍できたのも、尾張藩のおかげ。そのことがあまりにも知られていない。青松葉事件の影響が大きかったのか。
・これまでの歴史観が勝ち組の視点によって書かれていて、今はそれが横行している。もっと慶勝が日本を救ったということに光をあててほしい。

・名古屋の歴史について知らないことが多く書かれていて、びっくりした。
・八雲の由来の話で盛り上がった。
・大河ドラマになってほしいが、慶勝に華がない。

・城山三郎の作品は、経済や戦争の話が多いので歴史作品に興味がいかなかった。
・城山氏が教員時代に講義を受けていたことがあって、先生と作家とのギャップが面白かった。
・慶勝は徳川一門として、最後を戦乱のないようにまとめようとした。また、散逸した資料を蓬左文庫に収めた功績もある。

・史実がよくわかって勉強になった。良い悪いは別として、司馬遼太郎の作品と違う慶勝の姿が見えた。
・この作品を読むたびに、こういうことも書かれていたのか、と新しい発見がある。
・前半の派閥抗争は複雑でわかりにくい。後半の北海道移住の話が面白かった。
・作者はもっと多く書きたかったのではないか。奥歯にものがはさまったような内容。
・どうして城山氏は作品の主人公に慶勝を選んだのか?「落日燃ゆ」の広田弘毅の人間像とかなり似ている。

・作中の典医の能見は、城山氏の自画像か。慶勝が腹を割って話せた相談相手であった。
・なぜ殿様は切腹しなかったのか?徳川体制下では殿様に責任がいかないような仕組みだったのでは。
・「熟察」は現在にも残る、尾張人の気質である。



様々な意見や感想が飛び交い、まだまだ時間が足りないくらいでした。




次回の拡大読書会は、2018年3月11日(日曜)。イーブルなごやにて。

テキストは、奥山景布子「葵の残葉」(文藝春秋)です。