2016年9月19日月曜日

谷川俊太郎と谷川徹三、そして宮澤賢治

2016919日(月)

名古屋・東別院イーブルなごやにて、
あいち文学フォーラム主催イベント「谷川俊太郎と谷川徹三そして宮澤賢治」を行いました。
講師はあいち文学フォーラム代表・市川斐子氏。


有名な「雨ニモマケズ」が書かれた日、賢治の死から
「雨ニモマケズ」手帳の発見までの解説をしました。

次に、谷川徹三(谷川俊太郎の父親)と「雨ニモマケズ」との関係を解説しました。

谷川徹三は愛知県常滑生まれの哲学者で、文芸・美術・宗教・思想など広範な評論活動を行う一方、美術・骨董・茶道にも幅広い見識を持ち合わせた人です。
宮澤賢治を非常に尊敬しており、その評論や、雨ニモマケズの批判に対して論争もしました。

「『雨ニモマケズ』は『詩を書くというような気持でなく、もっとじかに、
自分の心の奥の最も深い願いを、自分自身に言い聞かせるというような気持で書かれた』」
「単純素朴な言葉の中に複雑な思念を蔵しているように、その謙虚な願いと祈りの中に、この詩は強い使命感をひめている」(谷川徹三『宮澤賢治の世界』より)

そして、『二十億光年の孤独』を編み出した息子・俊太郎を絶賛していました。
作家の阿川弘之は「谷川徹三先生の最高傑作 教育者谷川徹三の最大の成果 令息俊太郎の詩であり 詩人谷川俊太郎その人ではありませんでしょうか」と、谷川徹三への弔辞で残しています。

市川さんは、2年前に岩手県を訪れ、宮澤賢治ゆかりの地を訪ねました。
谷川徹三の揮毫した賢治碑や、その碑の所以の解説をしました。
そして、谷川俊太郎もこの地を訪れたそうです。
その記念写真は、「石と賢治のミュージアム」に飾られています。

 

 谷川俊太郎著『ぼくはこうやって詩を書いてきた』によれば、
「父(徹三氏)がこの碑の文字を書斎で書かれて置いてあったのを見て感動で涙が出た」
とのことです。

「賢治の<まずもろともにかがやく宇宙の微塵となり無方のそらにちらばらう>と
いう文章は、自分のどこかにすごく触れることばなんです」
(『ぼくはこうやって詩を書いてきた』)より

講座の合間には、文学フォーラムメンバーによる朗読も行いました。
『アンパン』、『二十億光年の孤独』、さだまさし著『いつも君の味方』より、谷川徹三との出会い。『「私」に会いに』、『こころの色』。

後半は、谷川徹三のふるさと・常滑と、その略歴の解説をしました。

京都大学で西田幾太郎に師事、学生時代に、多喜子夫人に出会い、結婚。
法政大学で教授を務め、交友関係は、有島武郎、志賀直哉、和辻哲郎、柳宗悦、岸田劉生など。
息子の俊太郎は、父と母との恋文を編集し『母の恋文』として出版し、
父・徹三の審美眼を、『愛ある眼 父・谷川徹三が遺した美のかたち』で著しています。

講座の最後は、愛知県にある谷川俊太郎の詩碑についてです。


あまり知られていませんが、谷川俊太郎の詩碑が愛知県にあります。
その場所は、蒲郡市・三ヶ根山の頂上・三ヶ根観音のちかくの「わらべの小径」。
三河湾を見晴らせる眺めの良い場所に「こころの色」の詩碑が建立されています。

さまざまな巡りあわせから、詩碑設立の運びとなり、
谷川氏本人も、平成19年に建立された除幕式に立ち会ったそうです。


父・谷川徹三、息子・谷川俊太郎。そして、宮澤賢治。
三者の情熱ある生涯が織りなした物語を、参加された方々は熱心に聴き入っていました。





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